ロシア軍によるウクライナ攻勢が強まるなか、静岡自治労連は憲法をいかした人道支援、避難民への支援拡充、多文化共生社会の発展などをテーマに、5月6日(金)、ウクライナ避難民への緊急インタビューを実施しました。
インタビューに応じてくれたのは、今年3月、3人の息子とともに日本に避難してきたシャッケェフ・オレーナさんと、夫の増田勝秀さんです。
オレーナさんは、昨年9月、息子たちの入学手続きのため故郷テルノーピリ(ウクライナ西部)に一時帰国しました。しかし、新型コロナの感染拡大で日本に帰れなくなり、今年2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵略がはじまりました。
オレーナさんは侵略がはじまるまで、同じ民族同士で戦争するはずがないと信じていたそうです。
「テルノーピリは、ウクライナ東部に比べたら施設や道路の破壊だけで済んでいます。家族のアパートも残っています。ウクライナにいたときは、サイレンが多いときは1日に14回も鳴り、その度に地下の防空壕へ移動しました。夜9時以降はライトをすべて消し、いつ爆撃されるか分からない恐怖のなかで毎日過ごしました。食料がない状態が何カ月も続き、毎晩涙を流す日々でした」と、当時を振り返ります。
ポーランドへの国外避難では、子ども3人を抱えての避難がとても大変だったことが語られました。「1回目は国境付近で車が40キロも渋滞し、夜中になっても動かない状態となり、治安のことも考えて引き返しました。2回目にようやくポーランドへ出国することができましたが2日間かかりました」、「ポーランドでは友人を頼り、ワルシャワ近郊のアパートに避難しました。3LDKのアパートは、私たちを含めて22人の避難民でぎゅうぎゅう詰め。寝るのも雑魚寝でした」。
日本にいた夫の増田さんは、「気が気でなかったです。オレーナたちがポーランドに避難してからは、子どもたちのビザ発行のため外務省に問い合わせました。しかし、ポーランドではビザが発行できないことや、ワルシャワ空港は冬で就航していないなど、日本に避難させるのも大変困難でした」と、避難手続きの苦労が語られました。
現在5人は静岡市で暮らしています。「子どもたちは最初、トラウマで夜になると涙を流していました。今でも救急車などのサイレンが鳴るとトラウマが蘇ります。オレーナも母と連絡が取れない日々が続き、情緒不安定で子どもに当たったり、逆に子どもたちがオレーナに当たったりすることがありました」と、増田さんは家族のメンタル面の心配を語りました。
大変な困難を潜り抜けてきたオレーナさんたちに、日本のウクライナ支援のあり方について聞きました。オレーナさんは「日本は第2次世界大戦や原爆投下を経験し、戦争をしてはいけないという心が長く刻み込まれていると思います。その意味では、幅広い人道的支援をお願いしたいです。隣国に避難しても食べ物や飲み物が調達できているとは限りません。生きていくうえで必要な継続的な食料支援を特にお願いしたいです」と語りました。
増田さんも「日本では安倍元首相が抑止力として米国の核を借り入れる必要があると言っているが、唯一の戦争被爆国としてそれはやってはいけない。核戦争は何としても防ぐという意思を通していくべきだ」と、日本の平和による人道支援を訴えました。
日本政府は、ウクライナ避難民に補助金を給付しています。しかし、生活保護を基準したその金額は生活していくには厳しいものです。しかも、日本に身寄りのある避難民は支給すらされません。こうした状況に増田さんは「静岡県からは支援金はありませんと言われました。ネットを検索したら、ある県では自治体独自で支援金を支給しているところがあり、避難した地域によって格差が生じています」、「あそこの県はもらえた、ここの県はもらえないでは選別が生まれます。国が全国一律の基準を定め、平等に支援がいきわたるようにしてもらいたい」と話します。
こうしたなか静岡県では、静岡県ボランティア協会など関係諸団体が連携して「ウクライナ希望のつばさSHIZUOKA」を4月1日に発足させ、避難民に支援金や援助活動を行っています。静岡自治労連もこの支援に参加しています。
住居や在留期間についても増田さんから不安が出されました。「市から市営住宅を供与され、期間は6カ月、最長1年間まで住むことができます。しかし、戦争が1年で終わるとは限りません。1年後のことも考えないといけない」、「オレーナは配偶者として日本に留まることができますが、息子たちとは血縁関係がありません。入国管理局から特定活動のビザ(期間は90日から1年間)が発行されましたが、在留期間は1年間です」と、支援が切れた後の心配が出されました。
増田さんが入国管理局に相談したところ、日本の難民申請は1割ほどしか許可されず、戦争状態が長期化するようだったら養子縁組を検討したほうがいいと言われたそうです。日本の難民政策の問題点や支援のあり方が問われます。
オレーナさん家族が日本に避難して一番苦労しているのは「言語の壁」だと語ります。「ヨーロッパ圏とアジア圏では文化や言語がまったく違う。子どもたちは日本の空港に降りて目を丸くしていた」。子どもたちは日本語に慣れるまでウクライナとオンラインで授業を受けていると言います。
静岡県はオレーナさん家族へ翻訳機を1台提供しましたが、1台を4人で使いまわすのは大変です。増田さんは群馬県のAizawa Corporationという会社が避難民1人1台分の翻訳機を県庁へ提供した話を聞き、Aizawa Corporationの社長に静岡県にも提供してもらえないかとお願いし、静岡県への提供も実現しました。
増田さんは「多文化共生社会は、言語教育を重視してもらいたいです。高校生や大学生は外国語を学ぶチャンスがありますが、小学生や中学生ではチャンスが少ないです。帰国子女や避難民のためにも英語などの言語が話せる環境を整えてもらいたいです」と語ります。
また、国際的な交流の場づくりについても、「田辺市長との面会時に、多文化共生のサポーターとしてウクライナ人の通訳者とお会いしましたが、県内でウクライナ人同士が交流するのは難しいと言われました。市の担当者から他市に住むウクライナ人家族を紹介してもらいましたが、日常的に交流するには距離的に難しいです」と、情報共有や交流する場を設けてもらうと心強いと語りました。
最後にオレーナさん家族は「私たちは日本でなんとか生活できているが、他のウクライナ避難民は、支援が終わったらその先がまったく見えない。避難したはいいが「言葉の壁」で就労もままならないなど、問題はたくさんあります」、「支援を受けている立場からはなかなか言いづらいです。自治労連のみなさんの取り組みで、国や自治体に私たちの要望を伝えてもらいたい」と、私たちに思いを託してくれました。
静岡自治労連は、「憲法をいかしていのち、暮らしを守る」運動を推進し、オレーナさん家族の平和への思い、避難民への支援拡充を要望していくため、今後県内各自治体に「憲法キャラバン」を実施していきます。